写真のはなし-2-

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天岩戸神社の本殿というのがこの写真に写った祠です。
この説明がなかったら、この写真を見て、人は何を思うでしょうかね。
写真は目に見えるモノが平面にあらわされた人工のものです。
目に見える実物をコピーしていてそれはそれだとわかるのですが。
これが天岩戸神社だということはそういう説明がなされてわかる。
言葉に支えられているイメージだから、言葉がなければただの風景です。
やっぱり言葉の積み重ねで意味を構成しているから言葉がないと意味がない。
そもそもこの「言葉がないと意味がない」という文脈から写真を外すとどうなるか。
わけがわからない、先に得ている情報で、これは祠、神の祠、これくらいはわかるか。
でも、これだけでは意味をなさないから、言葉で様々な意味をつけていく。
でもなぁ、写真って、こういうもんではないんじゃないか、と思う。
ここから、写真というモノをとらえていくことを考える必要があるのではないか。
写真に撮られたモノの価値によって語られる写真ではなくて、写真自体が価値となる。
そういう写真とは、いったいどのような写真だと、言い当てればいいのでしょうか。