写真のはなし-6-

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<写真よさようならの写真よさようなら>
写真よさようならという本があります。
1972年に出版された本で、森山大道さんと中平卓馬さんの対談集として残っています。
本のタイトルの「写真よさようなら」というフレーズは、それまでの写真への決別でした。
それまで撮られ発表されてきた写真との決別、そのようにぼくは解釈しています。
それからほぼ半世紀がたって、歴史的には世界の構図が変わり、表現ツールも変わっています。
なによりカメラはデジタルだしパソコンを使って加工し、発信する時代です。
写真表現の方法も変わってしかるべきなのに、まだ当時の「写真よさようなら」です。
表GEN研究会phというグループを立ち上げたところですが、ここではジャンル融合です。
写真よさようならにさようならする方へと来ている、時代がそう言っている、と思うのです。
写真、映像、絵画、音楽、文学、このそれぞれがもつ表現思想なるものを、組み上げる。
そういう作業を、はじめていかなければならないのだろうと、思うところです。



写真のはなし-5-

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<一枚の写真>
シュルリアリストの人々、と銘記された写真を見つけて撮った写真が、この写真です。
1930年に撮られた記念写真でしょうか、シュールリアリスト9人が写っています。
シュルリアリズムの中身については、ぼくは評論するだけの知識がないと言っておきます。
でも、シュルリアリズム、超現実主義、と訳せばいいような、現実離れしたこと。
それを文章なら物語、写真ならコラージュとか、様々な分野での思想運動でしょうか。
時代背景から解いていかないと全容がわかってこないとは思うけど、安易に使わせてもらいます。
ここに写っている9人の男たち、有名人やなぁ、ブルトンとかマン・レイとか、とかとか、です。
撮られた写真が、最初、どうして公開されたのかは知りませんが、この写真を発見しました。
昨年の夏ごろだったと思います、メディア図書館に蔵書の本のなかで見つけた。
iPhoneを持っていたので、インスタグラムのカメラを使って、撮影して、SNSにアップした。
その写真を、ぼくは「風景論」という写真集12枚の一枚として、収録しました。
デジタルデータとして手元に残っているので、それをこのブログにアップしたところです。
ぼくのイメージで、フォトハウス写研を創立するところですが、なんとなくこれが気になる。
フォトハウス写研のグレードが、アップしていけばいいなぁ、との思いがあるわけです。
写真って、残されて、過去となって、存在証明となっていく、そういう代物なんですね。
記念写真という作品、さりげなく、集まったときに撮る集合写真、あるいは一人だけの肖像。
写真てのは、やっぱり記録性だなぁ、といくつかの意味の中で、その一つだと思います。
フォトハウス写研も記念写真撮っとかなくちゃ、と思っているところです。