風景-2-

風景-2- 船岡山 2019.12.20
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posted by shigeo at 10:47Comment(0)風景

風景-1-

風景-1- 双ヶ岡 2019.12.11
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posted by shigeo at 12:44Comment(0)風景

荘厳ミサ曲

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先ほどFBで、誰かが第九の演奏会は沢山あるのに、荘厳ミサ曲の演奏会は余りないと書いていた。
ぼくはコンサートホールでの演奏会に行くことは少ないけれど、聴くのはもっぱらパソコンです。
ステレオ装置で、レコードで聴いた、後年にはCDで聴いた、最近ではパソコンで聴きます。
ええ、荘厳ミサ曲は、厳かな気分になれる気がして、祈る気持ちで聴きます。
いいえ、聴いていると祈りたくなる、心が泣けてくる、生きてることが浄化される感じです。
宗教の領域といえばいいのか、芸術表現の場所として、そういう荘厳な場所にふさわしい。

万葉の時代、防人が詠む句には、恋人を想う気持ちを込めた句が多いといわれています。
人を恋する気持ちというのが、表現の原点になるのかも知れない、原風景かもしれない。
荘厳ミサ曲の詩句の意味は、ぼくにはわからないけれど、旋律が胸を打ってきます。
第九の合唱にも通じるのだと思うけれど、宗教儀礼に視覚聴覚が包まれると、感動です。
いやはや、感動する枠組みが宗教儀礼なのかも知れない、とすると究極表現は此処かなぁ。
なんかわけわからなくなってきていて、感じること、これに言葉をつけることが無理なのか。

なにもそんなに難しく考えなくてもいいのかも知れませんね。
言葉で連ねる時代は終わって、いまや感覚で感じる、空気の振動を身体で感じる。
けっこう直接的なところで感じていくのが、現代なのかも知れない。
ということは現代の表現は、感覚が前面で、言葉なんかで紡げない、こういう方法もある。
静謐に感じさせられるか、色艶に感じさせられるか、対極の二つが、表現の根底ですかね。
静謐な神と色艶なエロスを、両方は無理で、どちらかを表に現わす、それで対極を感じさせる。

現代・表現・研究について-1-

現代表現研究所という表題を掲げたブログだから、載せる記事の内容が限定されます。
枠組みというかフレームというか、そういう範囲を前提に、ものごとをとらえようとします。
現代というキーワード、表現というキーワード、これの示す意味を創出し、研究する。
言葉の遊びじゃないと思うので、最近はあまりこういう文章を書きたくないといいながら。
書き綴っていくわけですが、というのも、これも現代の表現なのだ、なんて居座れない。

現代をどうとらえるか、いくつもの切り口があるから、どの切り口を枠組みとするか。
アートという枠組みがあるから、この枠組みの切り口から、研究してみようじゃないか。
それから表現をどうとらえるか、表に現わす、自分のそとへオーラのごとく現わす。
現わす枠組みは、露わにする、自分の内面、考えていること、肉体が要求することを露わにする。
これの組み合わせで、現代表現の枠組みと、その論及範囲、標的が見えてくるように思えます。

アートとは社会のシステムのなかで、ひとの気持ちのことを考える場所のことで、その範囲です。
このように考えてみて、その範囲の中で、表現方法を選ぶ、ということになりますね。
表現するための幾多の手段、道具、方法があるので、これを自分で選ぶ必要がありますね。
ぼくの場合だと、文章を書く、カメラを操作する、このふたつの手段を道具をつかって、表す。
ここからが問題で、その中身はどうする、このことへの追及、論及が絶対必要条件です。

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学校をつくるプロジェクト-5-

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学校をつくるプロジェクトを提唱していますが、反応はというと皆無に近いです。
そもそも学校をつくるということの必要性がわからないようなのです。
ここでいう学校は、学びの場、既存の枠組みの教育ではない、それに対抗する学校です。
それに対抗する学校、なんて言い出すとこれはヤバイ、まるで革命学校みたいだから。
決してそんな過激なことを考えているわけではなくて、ハッピーライフを得るためなのです。

体制から離れてどこかへ行けるわけではなくて、体制からは逃れようがない事実があります。
この体制のなかで、経済的な貧者は、気持ちの中まで貧者になってしまいそうな世の中です。
起業してあるいは組織に入って、金儲けすることができる人は、それで勝組としていいと思う。
でも、そうではない人は、どうするのか、これを克服していくための学びの場、でしょうか。
そういうことをアートの枠組みで、やっていけないか、との提案なわけです。

学校をつくるプロジェクト-4-

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来年は、学校をつくるプロジェクトを、具体的に展開していきたいと思っています。
学校をつくるとは、学びの場をつくるということで、様々な要素をちりばめた学校。
作家の在り方とか、作品制作の実際とか、そういうことの根底に、何を敷くのか。
グローバル化していく世界に、自分を見失わないように、考えをまとめる。
反グローバル化、資本に対抗、なんていうと過激なようですが、過激になろう。
いま、新しい作り方を求めて、新しい価値観を求めて、それを求める学びの場です。
具体的な集まりの日時などは改めて告知するとして、参加者を募ります。

ほんとうは、非常にベーシックなところからとらえていきたいと考えています。
基礎の基礎、基本の基本、というところでしょうか、これをカリキュラム化します。
生きることが、生活をつないでいくことが、けっこう困難な時代になっています。
でも生きていくことに希望が持てる、そういう基礎・基本は、何だろう、ですね。
そういうことが話題として出せる学びの場、それにスキルをつけることで作品をつくる。
私自身が直面していることを、共有できないか、と思うところなのです。
そうしてあなたが直面していることと、クロスできたらいいなぁ、と思うのです。