小説のはなし-2-

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芥川龍之介の小説に<藪の中>ってのがあったと記憶しています。
高校の頃に読んだ小説でしたが、たしかひとつの事実にいくつもの証言があらわれる、でしたか。
わけわからんわけではないけれど、ひということみなちがうから、わけわからん、になる。
でも藪の中という言葉を、意識して写真を撮って<無題>として、見ているところです。
写真、イメージの解釈って、いろいろな見方があって、見え方があって、何が正解かわからない。
これ、現状の認識だと思うんです。

それから、プルーストの<失われた時を求めて>という小説があります。
この小説を、ぼくは、詳しくは読んでいませんが、とっても長編で、いくつもの話が連なる。
そういうようなイメージを持っていて、そのイメージからのインスピレーションで、判断します。
まるで知恵の輪のような構造なのか、先にはお多福飴、どこを輪切りしても同じ顔があらわれる。
そういう構造なのか、小説というフィクションの構造について、いろいろ思うわけです。
藪の中の構造、失われた時を求めての構造、ぼくの大袈裟だけど小説作法をいうなら、混合です。

そういえば、いまは21世紀、科学技術が発達して、人間の知能を凌駕する時代ですね。
そういう時代にあって、単純に、人の心を疼かせる、感動させる文章とは、どんなものか。
内容はセックスの現場、これの描写の仕方、リアルロマンと呼んでいるんですが、リアリズム。
ロマンは豊かな、福よかな、艶やかな、人の内面がとろけそうなイメージの文章、イメージ。
ひらがな、カタカナ、漢字、これを巧みに使って、組み立てて、物語にしていくわけです。
日活ロマンポルノ、パートカラー映画、これらは映像作品ですが、これの文章版の話です。