写真とは何か-2-

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<論-1->
写真について論を立てようと思って、この枠組みを作ったところですが、なにをどのように、という回路が組み立てられなくて、しばらく放置したままでした。なるべくやさしく、わかりやすいように書こうと思っているところですが、やっぱり難しい感じがします。というのも、技術的側面を現状に合わせてなぞっていく内容だと、それはそれなりにわかりやすく論じられるように思えます。でも、ここで論を立てようと思うところは、写真とは何か。これはやっぱり漠然としていて、どこからつついていけばいいのか、入り口をどこにするのか、などなど思うところが多いから書きだしてこれなかったと思っています。

たわ言、戯れ言、独りよがり論、そのようになっていく可能性があるのは、論拠の底辺を揺らめかせて書こうと思うからかもしれません。予定調和的に、こうあるべきだから、このように書いて、思うような枠組みを作っていく。論というのはおおむねこのような枠組みだと思っていますが、あえて、その枠組み崩しができないかと思っているわけです。写真って、カメラが必要じゃないですか。としたら、カメラを使わなかったら写真という代物が成立しないのか、というようなことを論立てていけたらいいな、と思うわけです。これは無謀な試みというより、論にならないのかも知れません。

でも、やっぱり、写真の定義からやっていかないといけないようなので、写真というモノの有る姿としての枠組みを作っていきます。写真は、おおむねカメラ装置を使って制作するモノです。カメラとはカメラオブスクラ、カメラルシダ、ロランバルトには後者のカメラルシダですかね、明るい部屋と訳された論書があります。この論を書く背後には、ちらちらとその論書のことを意識してしまいます。どうして、ロランバルトの写真論が気になるのかといえば、ぼくは影響を受けていると思うからです。文献を見ないで書いているのでおぼろげですが、それは1980年頃に書かれた論だと思うんです。それから写真をとりまく環境が大きく変わっていると認定します。フィルムからデジタルに移行しているし、カメラはスマートフォーンに内在されていて、そこまで含めるなら、カメラを扱う人の数がめちゃくちゃ多くなっているのが現状でしょう。

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