関西の写真(史)-1-

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 かねてより気になっていることがあって、その気になることとは、自分という人間を、自分としていかに捉えるか、ということです。自分ことを知るためには、自分が立ち会った、つまり身体をもって経験したことを軸にして、枠を拡げていくことで、それなりに、自分として自分を客観化できるのではないかと思っているのです。朝から、関西の写真の歴史を紐解く手がかりとしての一枚の印刷物を手にしていたところです。2008年4月1日現在という日付が入った「京都丹平 史譜」というA4一枚の印刷物です。ぼくの手元にはこの、浪華写真倶楽部からはじまる系譜資料と、京都シュピーゲル1966年からの会報、1977年関西二科会写真部の会員名簿、です。京都シュピーゲルは後に光影会と名称を変えていて、ぼくはこの光影会に、1975年ではなかったかと記憶を辿っていますが、入会することになりました。直接のきっかけは、この時からはじまったと思っています。

 関西の写真(史)、どこから書き始めようかと思うところですが、個別の作品論というより組織と個人という関係の中で記憶されるべく記録がこれだと思えて、ぼくが知る範囲で、実体験、知識だけ、これらを織り交ぜて、書いていこうと思います。そのことでいえば、別の所でも書いていますが、達栄作さんとの出会いが最初の話題かも知れません。1965年に京都シュピーゲルが、木村勝正さんを軸にして創られる写真倶楽部で、木村勝正さん死去の後をうけて、達栄作さんが会長となられ、会の名称が光影会、のちには光影会写真倶楽部となるところで、ぼくがこの光影会の会員になったというところです。写真倶楽部という集団は、おおむね月例会を開催しています。撮影会なるものを実施しています。月例会では写真にランクがつけられ、点数がつけられ、会員相互をランク付けします。写真雑誌に日本カメラとかアサヒカメラとか、そこにある月例コンテスト、その形式をお寺とか会館とかに集まって、点数をつけていくというものです。1976年当時、光影会では、月例会において提出された写真にランクをつけることを廃止されていて、見て論じるだけ、という方式に改められていました。
(続く)

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