2018年02月17日

自己表現の道具-2-

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 芸術という分野があって、そこには歴史があって、今現在がここにあります。絵画の歴史、立体彫刻の歴史、陶芸の歴史、ここでは絵画を中心とする流れを、俯瞰してみようと思います。というのも、写真は絵画から発生してくる感じだし、映像は写真から発生してくる感じです。絵画から写真へ、具体的には1939年に写真術が発明、とされているから2018年現在でいえば、180年ほど前の欧州ということになります。絵画には絵画の歴史があって、それを制作した人、画家がいて、その画家と出来上がってくる絵の関係を探っていくと、画家の想いということが露わになってはこないか。いま、ここでいう自己表現、その道具としての絵画を介しての自己表現です。

 もちろん自己表現というとき、単純に、自分の内側を外に表すことだ、と一義的には言えると思います。この内側を外に表すための道具として、絵は絵の具を使い、筆を使い、材料として絵の具を使う。絵の具になるモノの種類とか、筆の使い方とか、道具をどのように使いこなして「絵」に仕上げるか、といった技術のことが解析されます。そういうことの流れでいえば、絵を書くという技術に対して、写真という代物は、光が描く絵、筆を走らせなくても、光を当てることで絵が描ける。そういう置き換えの方法を生み出したのがフォトグラフ、日本語で写真という代物です。自己表現の道具という以上に、写真の最初は技術的な問題をいかに解決するか、といった化学者的な思考が優先されたのであったと思います。そんな写真に、自己を表現する道具として意識されだすのは、いつ頃からでしょうか。

 自分の外にある世界に対して、自分の価値観によってその世界を見るとき、その世界が「どういう」ものななかとの自己判断が伴います。たとえばステーグリッツの写真「三等船室」(1907年)ですが、ここには移民の様子が目に見える形で表されるのだが、そのなかでもステーグリッツは下層といわれる人々が移民してきた船底の光景を上層の人々との対比で捉えています。この視点、このステーグリッツが注目した視点が、自分が感じて思想化した光景への想いを表した。つまり「自己表現」をした。その道具としてカメラを使った、ということになります。これは自己表現ということと、そのための道具ということの証しといえます。これで、問題が解決したわけではなくて、このことを前提にして、自己表現とは何かを探っていかないといけないのです。道具はカメラです。
posted by shigeo at 17:32| Comment(0) | 自己表現の道具 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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