2018年04月01日

自己表現の道具-3-

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 自分を表現するということは、自分の欲求を満足させるために行う外的な行為だと思うんです。このことでいえば、生活するレベルで、お腹が空いた、あれが欲しい、これが欲しい、という日常の生活を潤していく欲求を満たすことになります。そこそこ、この欲求が満たされる環境になれば、自己実現する方へ向かうと思っています。対象となる相手に対して、自分を認めさせる、認めてもらう、という行為でしょうか。この相手との関係を捉えることが、変遷してきていると思うんです。端的に、今はどのような時代かといえば、ぼくは、個人の内面が、個人と対面している相手の内面と、その価値観というか気持ちを共有する時代だと思うんです。

 かって権力関係なんていうとらえ方で、上下関係とか、大きな全体と小さな個人の関係とか、そのような関係のなかで自己表現が試みられたかと思います。基本的には政治とか経済とか、社会を動かす枠組みに、その一つとなってあることは個人として認められることだったのではないかと。でも、いま、そういう関係を外しても成立するように思想できる時代になったと思うんです。社会の変化、人間のとらえ方の変化、個人のあり方の変化、といえばいいと思います。脱権力、水平関係、あなたとわたし、このプライベートな関係を求めてもいい時代になっていると思います。これは主体としてのこちら側の立場で、ここから表現するというのです。自分を発信するというのです。自分の内面を発信して、客体としての相手の内面に受信してもらう、この関係です。

 個人の内面を、個人が見つめ、考察する、ということが現在のテーマだと思うし、その方法が作品を生み出すベースになるのではないかと思うわけです。あなたとわたしの間で、なにを根拠にして共有しあえるのか、それを情のレベルで感じあうということ。確認の使しようがないんですが、確認の抱負は言葉、それに類する記号、それを合図として交換することか、とも思われます。そうなんですよね、表現すること、そこに社会性を求めた時代から、かってある社会性を求めなくてもよい関係のなかで、なされる情の交換、これですね。情とは、感情、情感、個体の内部に生成してくる感覚とでも解釈しておきましょうか。時代とともに解釈が変わるかと思いますが、その解釈を提起できるかどうか、表現のありかた、です。
posted by shigeo at 11:25| Comment(0) | 自己表現の道具 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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