表現の彷徨-1-

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 表現という範疇で、芸術表現を取り上げてみますが、そもそもの表現とは何か、そうして芸術表現とは何か、という定義というか意味づけにまで降りた話をしておかないと、芸術表現というイメージが、個別ばらばらになってしまうのかも知れません。とはいっても、ここでは芸術表現としての画像イメージ、文字イメージ、音声イメージ、見る、読む、聞く、の三つの分野について、その基底を成す描かれる領域について考えようと思うのです。方向としては、社会制度のなかの性的表現について、ということになろうかと考えます。政治的表現であれ、個人的表現であれ、表現を表現として受け入れる社会システムがあって、これは時代によって枠組みが変容するから、その変容によって表現の範囲が決められてきます。この表現の範囲とは、社会制度を崩壊させない思考の範囲ということになります。

 表現の自由ということが、様々に語られています。自由とはなんでも好きなことができる、というのが基本イメージですが、このとき表現の自由とはいっても、この自由は制度を崩さない限りということです。制度を崩すとは、極端にいえば体制を崩す、ということであり、体制を崩すべく方向を示す表現物の表出、ということになるかと思います。真の表現者とは、なんて、今の時代になんのこっちゃ、と言われそう、真とか偽とか、そんな区分なんてありえない、真とか偽とか、なにを基準にそんなことを言うのか、ということ。まあ、二者択一ではなくて、真から偽までのシームレスな枠組みと考えればいいかと思うし、真とは何、偽とは何、と話を拡大していかないといけないし。まあ、結論的にいえば、真の表現者とは、体制を変容させる要素を持った表現物を提示できる者、ということでしょうか。ここでは、かなり曖昧に、概念として、真の表現者像をイメージしております。

 表現の領域についていえば、性的表現というイメージで語られる領域があります。根本には、人間の、ヒトとしての本能に由来する領域だと思えるから、表現史を紐解けば、その原点には性的表現の情を含んでいるのではないですか。表現の対象を、対人関係において描かれる時、そこには男と女という関係が描かれてきます。日本文学でいえば、源氏物語は、男と女の恋物語といえばいいですね。言葉で書かれ、絵として描かれてきます。一気に江戸時代にきて、浮世絵の春画なんて、文字と絵ですが、リアルな絵、リアルとはいっても筆と絵の具が原版で、そこから版がつくられ版画になるプロセスです。この描かれるものが、男と女の出来事、という成人であれば情が動かされる対象になります。言葉でこうしてここに書くより、イメージを提示すれば、それで全てがわかる、とでもいえそうなことなのですが、ここに展示するには憚られることです。
(続く)

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