映像を提供する立場

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写真や映像を、表現の方法として使う個人を、作家と呼ぶことにします。
タイトルは、映像を提供する立場、なので作家であることが基本です。
作家によって制作された作品は、いくつかの枠組みの中で他者に提供されます。
提供者が個人であるか組織であるか、有料なのか無料なのか、これの組み合わせです。
組織が有料で個人に提供する、個人が無料で個人に提供する、そのほか、です。
作家は、作品を提供する代償として対価を得ますが、これが基本形です。
プロ、アマ、という言い方は適切ではないけれど、対価を得るのがプロです。

ところで、今やアマチュアという言い方は妥当ではないけれど、無償提供があります。
写真なら展覧会、映像なら上映会、これらを企画して、有料にならない場が多くあります。
もちろん、無料という向こうに、有料という領域があって、そこに繋げられるかどうかです。
いやはや、まったく有料には繋がらないところで、無償提供する、そのこともあります。
提供する立場としても、個人生活において消費のための金銭が必要になるから、稼ぎたい。
でも、個人生活のための金銭は別のところで稼ぐから、作品では稼がない。
作品を扱うのにお金、金銭の介在が、大きな意味を占めることになります。

制作した作品がお金になるかならないかの議論は、いまのとこと置いておいておきます。
映像を提供する立場として、その内容、コンテンツのテーマ、これが大事です。
制作者の目的が、はっきりしていなければ、提供される方が、戸惑ってしまいます。
大きくは、劇場で鑑賞する映画、テレビで放映されるドラマ、商用につくられ作品です。
これらは大きな社会装置の中で作られていくので、個人としてはコンテンツ提供者です。
そうではなくて、個人が制作する映像、YouTubeにアップして、無料で提供する作品。
映像に限らず、絵画や写真、文学作品においても、社会システムのなかで、成立します。



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