表現の彷徨-4-小説のはなし

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事実は小説より奇なり、なんて言葉があったけど、やっぱり小説の方が奇妙ですよ。
想像力にまかせて、小説が書かれる、フィクション、作り物、です。
とはいっても、ひと頃、私小説っていうのは、起こったことを克明に書く、という。
究極、そこま描くことを限定してしまうと、小説のために現実をつくる、ことになります。
小説は、フィクションで、作り話で、現実にありそうで、あってはならない現実を描く。
それに基づいて描かれる小説の世界は、現実に起これば、犯罪領域になる事象が描かれる。
犯罪っていうのは、言い過ぎだけど、それは人間の欲望の証しなのかも知れません。

人殺しは犯罪ですが、人殺しをする小説がありますね。
ドストエフスキーでしたか、罪と罰でしたか、老婆殺しだったと記憶しています。
そればかりではなくて、非道なことが小説の世界では、行われます。
どういうことなのか、文学の領域で、セックスの扱いもあるじゃないですか。
官能文学とか、現在的には、そういうジャンルがあって、そこで様々な行為が行われる。
人間の隠れた癖的なこと、些細なことだけど、セックスに関わること。
生きること、子孫を残す本能、これなんだと思うけど、隠されていますね。

時代と共に、開放されてきた性の話題です。
まだまだ、おおっぴらに話ができる環境には、なっていないとは思いますが。
モラリストの日本は、世界の潮流から、遅れ遅れで解放されてきたところです。
いつまた封鎖されるかわからない神国日本ですが、神の国こそエロスなイメージです。
文学も、映像も、この領域を排除したところで、成立させようとされていますが。
それは、本来的な意味からいっても、越えなければいけないハードルだと思います。
アダルト領域の表現は、もっと正当に扱われるべきものではないかと、思っています。


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