文学のはなし-3-

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先に記事を書いてアップしようとしたら、エラーが出て文章が消えてしまいました。
文章イメージと画像イメージとの関係性について、考察していたんですが、消えた。
ついてないなぁ、ではなくて、それは駄文だったから、パソコンがセーブしたんだ。
なんて、考えて納得しようとしているんですが、AIの時代、ロボットの時代ですね。
掲載した写真は手づくり市での「あおい」さんのテーブルです。
和紙写真・和箱・手織り<あおい>という名刺をいただきました。
文学のはなし、ぼくが文学の特に小説に興味を持ったのは、二十歳くらいだったか。
詩を書いて、手作りの詩集を発刊したりしてたのが17歳、高校二年生でした。
それから散文を書くようになるのですが、詩文よりも散文、小説に傾斜します。
たくさん原稿用紙を書き潰しましたよ、コクヨの原稿用紙ではなく特注の原稿用紙。
大学の論文原稿用紙を使いました。
でも、結局、続けられなかった、興味が薄れていきました、27歳かな。
たくさん、小説を読んだけど、読むばかりで書けない、読むこともやめた。
文学は、近代になって小説の形式が出来てくるんでしたか。
音楽もそうですね、古典派、ロマン派、とか形式と内容ですか。
絵画はかなり昔からありますが、近代絵画という印象派あたりからですか。
こう考えてみると、ぼくなんか、どっぷり近代の枠組みから離れていないですね。
文学の現在、現代文学は、そういうことになっているのか、分かりにくいです。
写真の現在、現代写真は、分かっているようで、分かっていないのかも、知れない。
いま、今をどう生きる、あらためて、<いま>をどうとらえるか、ですね。
テーマ自体が、今をどうとらえるか、ということで、<いま>への理解が問題です。
(続く)


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