写真とは何か-3-

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 写真の定義をする、といいながらそれらしき論を立てていますが、いまひとつピンとこない感じがしています。これは「写真」という枠が大きすぎて広すぎて、何を枠組みとして書くのか、という各論を組み立てていくことに他ならないと思うところです。風景写真とか肖像写真とか記録写真とか、写真の前に単語をつけることで、かなりの限定ができます。いわゆるジャンル分けすればいい、ということかも知れないんです。でも、ジャンルに分けて論じることへの是非についていえば、1980年代にロラン・バルトによって、このジャンル分けへの無意味さが明らかにされたと考えています。でも、それからかなりの年月が経っていて、いま、あらためて「写真とは何か」と問うことは、ジャンルというか内容が持つ質の分類によって、各論を組み立てれば、全体像が明らかにされていくのではないか、と推定しています。

 というより、そもそも「写真とは何か」と大上段に構えて論じることにこそ現代的な問題があって、それは技術の説明であったり、画像処理の説明であったり、撮られた現場の話であったり、そういうレベルでいいのではないか。たとえば、インスタといえばインスタグラムというSNSの枠組みで画像を交換できるサイトで、アップされる画像は、ひとつひとつへの吟味は必要ないのかも知れません。ハートをぽつんと印すれば、見ました、良いです、との合図になり、お互いに感覚を交換できる仕組みです。まるで恋文のような感覚で、楽しむことができる。そういう時代になっているんだと思えます。だから、あえて、写真とは何か、なんて論の立て方は過去のもので、もはや化石に近い、とでも言えそうです。

 でも、やっぱり、気になるんですよね、写真とは何か、ここでは何をもって写真とするのか、という視点の逆転によっても言葉化していかないといけませんね。「写真」って文字がややこしいんです。いまや「静止画」という言い方の方が分かりやすいかもしれません。動画に対して静止画です。動画には、イメージと音声が合わされているのが通例で、イメージは静止画の連続したモノです。逆に言えば動画のイメージを切り取ったものが静止画=写真、ということになりはしませんか。でも、これは在り方の問題であって、静止したイメージの画像を、物理的な制作方法によって作られ、分類されたにすぎません。そうそう、イメージの指し示す意味について考える、これが必要でしょう。でもやっぱり、「意味」とは何、っていう問題が立ち現れてきます。意味とは何か、いやはや、ややこしくなってきますね。
(続編あり)




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