古代風景-1-

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京都の太秦に蚕ノ社があって、その境内に三柱鳥居があります。
この三柱を組み合わせて鳥居としているのですが、何を意味しているのか。
ここ数年、ぼくのなかで蚕の社のこの三柱鳥居が気になっていたところです。
北に向いたのは双ヶ岡、西に向いたのは松尾山、東に向いたのは稲荷山、その方向だと。
三柱鳥居の真ん中に石が盛られていているのだけれど、松尾山方面冬至日の入りを拝すると。
その反対方面は下鴨神社の糺の森から四明岳で夏至日の出を拝する線となる。
稲荷山の対角線上に愛宕山、松尾山の対角線上に四明岳、比叡山がある。
その基点が三柱鳥居の真ん中、交点だというのです。

その話は谷川健一編「日本の神々、神々の聖地5、山城近江」(白水社)にあるらしい。
蚕の社というのは通称で、正式な神社の名前は、木嶋坐天照御魂神社といいます。
読み方は、このしまにますあまてるみむすびじんじゃ、です。
養蚕の神さまを祀った祠が、本殿の東横にあって、そこに鎮座されている。
渡来人の秦氏は住んだこの地域、京都の西一帯は現在、太秦、嵯峨野、と呼びます。
この社は、その秦氏と深いかかわりがあるというので、それら知識を得ているところです。

昔の人の知恵というか、知識の積み重ねた結果として、今があるとつくずく思います。
その昔の起点が、ぼくの場合、古墳時代あたり、歴史書に記述があるあたりです。
知識を書き連ねる手法の論にはかなわないんですが、ぼくなりに歴史を紐解きたい。
ざっくりです、写真を撮っているから、その写真に沿った話が展開できれば思います。
どうして最初が蚕の社、三柱鳥居なのかといえば、直近にたずねたところが、此処だから。
蚕の社から大酒神社をへて広隆寺へ歩いたそのときに撮った写真を載せながら、です。

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