ここから-2-

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キャノンのアルバムが昨日で終わりました。
この10年ほど、大量にアルバムに写真をアップしておりました。
昨年のジオシティーズと同様、時代の流れで、それはそれで容認します。
インスタグラムがパソコンで表示できなくなったので昨日で終えました。
ニコンのアルバムはまえに新しくなったので、現在はまだ健在です。
手元の資料も処分したから、ひとつの時代を終えて、次の時代にいきます。

フェースブックは続けます、ツイッターも続けます。
昨年末から今年にかけて、新しく開設したところですから。
作品のストックは、ライブドアのブログを中心にしていこうと思っています。
ここ、seesaaブログは三つ開設しておりますが、ここでは論を中心にします。
あとは雑記と京都表現学校のインフォーメーションブログです。
なんやかや、嘘はつかない、まじめに戯言を綴っていこうと思っています。

1946年生まれで、今年で74歳になるから、ちょっと複雑な心境です。
文章書きがいつまで続けられるのか、それがわからないから困るのです。
まだ5年ぐらいはいけるかなぁ、と思ったりしていますが、もっと短命かも。
キリがいい2020年にして、ここから、あたらしい何かを作り出していきたい。
何があたらしいのか、それを判断するのは、自分の感性です。
これからも、よろしくお導きのほど、お願いいたします。

これから-11-

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だいぶん身の回りの整理が進んだとおもっていますが、まだまだ残滓がこびりついています。
裸の聖徳太子像ではないですが、衣装を脱ぎ捨ててしまって、そこから何が産まれるか。
これも妄想のうちになるんだと思いますが、天から授かった宇宙観というところか。
いまは、ベートーベンのピアノソナタ、晩年頃の音を聴いていますが、すごい。
音は抽象だから、それの連なりで人の心を揺さぶりますね、としたら文字はどうなのか。
文字の連なりは理解を伴わなければならないから、音の羅列とは、ちょっとちがうなぁ。

あえて分けるとしたら、官能小説ってジャンルがあるじゃないですか。
これは読ませて、性的に興奮させて、理想はエクスタシーに至らしめること。
オーガズムといえばいいのか、アクメといえばいいのか、至福の領域へ導く。
このような言葉の連なりを創造したいと思うのですが、どうしたら実現するのか。
現代未来文学の課題ではなかろうかと思うところで、リアルロマン小説のことです。
昔、温泉場で頒布されていたガリ版刷りの物語、これの再来を求めています。

1955年に書かれたというサンドラール「世界の果てまで連れてって」生田耕作訳。
気になりながら、手元にあるのに、読んでいなかった、これは小説なのでしょうか。
ほかすまえに読んでみようかと、いま手元にとりだしています。
なんともはや、禁断のエロスの華が・・・・と帯には書かれている書ですが。
それとかって読んだ「湖の伝説-画家・三橋節子の愛と死-」これも再読ですかね。
捨てるとなって愛着がわいてくる本のタイトルです。

これから-10-

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<死後の世界について、この世について>
ぼくは基本的に死ぬことは肉体の滅亡で、同時に魂も滅亡する、と思っています。
このことを明確にしておかないと、ぼくが死後の世界があると思われたらイケナイから。
冥途や黄泉の国やあの世や天国とか、宗教や哲学の領域で空想の世界を論じますけど。
そういう死後の世界のことを思想史的にあることを想像力の中で想いを馳せますが。
御霊とか精霊とか、生きているうちには、あると思うことで安定する気がします。

唯物論というのでしょうか、青年の頃に、肉体滅べば魂滅ぶ、といわれているから。
それは生前の思いであって、それに歴史とか、枠組みをつくって、自分を安定させる。
さて、作家しようと公言しているけれど、作品の根拠は、モチーフはどうするのか。
空想力を見えるようにする、難しいけど、そういうことでしょう、作品とは。
写真をつくろうと思っています、それに文章でフィクションもつくろうと思います。

手元に書籍のタイトルでも見えるようにしておけば、論が立てられる、と思っていました。
でも、それを無くしてしまっても、これまでの経験から、なにか産めるのではないか。
そのようにも思って、家族が身の回りを処理しろというので、することにしたところです。
生きていて、からだの機能が衰えてきて、想像力が大きく膨れ上がる、そういうところです。
作家をする、生のための考察みたいな視点で、セックスをとらえられたらいいな、と思います。

これから-9-

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<表現のテーマとしての内面>
なにやら由緒あるハヤシライスだということを聞いて、食べたいと思って、食べました。
今日のテーマは、食べ物の話ではなくて、表現する中身の話です。
写真に撮ったハヤシライスの中身は、いろいろな材料が煮込まれていて、美味です。
表現の中身も、これに似せていうと、いろいろな素材が混在していて、感動する。
この感動するべきものの「質」というか「内容」そのことの話です。

「内面」という言葉があります。
風景の発見、内面の発見、告白という制度、病という意味、、、、、。
柄谷行人さんは「日本近代文学の起源」の章立てとしてこのように展開します。
これは近代という枠組みで、現代ではありませんが、ここの内面の発見です。
ぼくは写真表現という枠で、考えているんですが、漸く「内面の発見」にまで来た。

これ、写真表現の、現代表現の核になるテーマではないかと思います。
これを具体的な作者を引き合いにだして、評価を定めていかないといけませんね。
イメージとしてこのことに取り組んでいる写真作家がいるように思えます。
いや、思考が内面に向かっていて、自分の内面表現として外在するものを定着する。
坂東さん、渕上くん、ほかには台湾のセリフイー作家、ぼくが昨年に見聞した作家です。
文学では近代に組み入れられますが、写真では現代ですね、漸く始まったところです。
(続く)

これから-8-

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2001年にフリースクール構想を打ち出したんですが。
そこでは、2020年に既存システムが崩壊すると予測しています。
いよいよこれまでの大きな権力構造、経済システムが無効になってきました。
大きな話ですが、個別にあげると、教育や、生産や、メディアの環境が変わりました。
その変わり方のこと、内容なんですが、そのことを感覚として実感しています。
世界レベルで疲弊化が起こっていて、日本もたぶん、そういう状況かと思われます。

世界はグローバル化に向かっているといわれます。
資本が一極に集中していく時間の流れだといわれます。
これはどういうことかというと、個人が抑圧されていくということです。
この抑圧をいかにして退けていくか、というのが現代の課題なわけです。
そこで、資本と切り離して、人格の価値を見直すフレームが必要となります。
このフレームこそが、新しいシステムを生み出す拠点となる思想の原点です。

では、このフレームのなかには、どういうことが現象として起こっているのか。
(続く)

これから-7-

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なにを論拠とするか、これを探し求めているんですが、参考資料がないのです。
ええ、現代を解くカギ、キーワード、それから飛び立つための思想背景、のことです。
でも、どうも、まわりを見渡してみて、その論拠が見つからないのです。
下敷きにする思想背景から、飛躍しないといけないわけです。
そうするとぼくのなかに下敷きとすべく思想があるのか、と問えば、ないなぁ。
言葉は知ってる、人の名前も知ってる、でも知ってるだけで、深くは知らないんです。
たとえば、マルクス、柳田国男、これは柄谷行人さんの本に出てくるお名前です。

いまさらなぁ、もう高齢者だし、まもなく後期高齢者に位置付けされる年齢です。
アクティブに動いている世界からは、もう遠くへ来ているなぁ、と実感します。
だから、名誉職に君臨するお方が多くて、その方たちが過去の実績で、評価されてる。
ぼくは、過去じゃなくて、今、現在、なにを生み出しているのか、ここを問題にします。
アイデアだけでなくて、実行する枠組みの生成を試みるわけです。
でも、結局、アイデアしか出せてないなぁ、と反省しているところです。
だから、もう現役ではなくて退役になっているんだと思うのが正しいですね。

でも、この20年間、すくなくとも総合文化研究を提唱したころから、今までのこと。
基本原理みたいな位置から、発言、発案していると、自分では思っているところです。
その基本原理とする位置は、虐げられた場所からの発想、持たない立場からの発想です。
すくなくとも、資本に従属しない立場から、ことを起こしていくこと、に尽きます。
まあ、全共闘世代特有の、思考の枠組みなのかも知れませんね、反権力という権力構築。
この枠組み自体も、いまや解体されて、新しい枠組みが作られないと、いけないですね。
ちっとも具体的でないから、イメージ化されることも、難しいのかも知れませんけれどね。