現代表現ワークショップ-1-

写真や映像のことを話しする場としてのワークショップを開催しようと画策しています。
話題は豊富に、喋りたいひとが、思う存分喋れる場、そういうワークショップです。
表現するということを、どうとらえるか、現代の迷路を語りましょう、ということ。
制作のための技術のことはひとまず置いて、制作のための道具のことかひとまず置いて。
制作技術と制作道具(カメラ)の話を外していくと、なにがあらわれてくるのでしょう。

なにを撮るかというテーマにつきあたりませんか。
このテーマと表現する自分の関係とはいかなるものか。
現代の表現現場が必要とする、新しい表現なるものを思考しましょう。
そういうトレーニングの場としてのワークショップ開催です。
まだ素案が提起されたばかりなので、具体的な開催については、これからです。

これは作品制作を試みる人が、自らを思考するための枠組みです。
自らを思考する人が、作品を構成する要素を導き出すワークショップです。
傍観者はいりません、自らが作品を制作する人、作品を創るための言葉を紡ぐ人。
あれやこれやと話題は豊富に、現代を表現する作家を構成していきませんか。
参加される人それぞれが、そのための構成要員となる共同の場ですね。

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現代表現WSについて-2-

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夏の頃に、現代表現ワークショップの開催を企画案出したところです。
その後、関係各位と話題を提供しながらも、これを具体的な場として設定できていません。
どうしたものかと思い悩んでいるところですが、波が立つまで静観するしかないなぁ。
なにも始まっていないなぁ、というのが実感で、一人芝居やっていても仕方ないなぁ。
統括セオリー、美術、写真、映像、音楽、文学、この六つが個別WSの枠組みです。

ジャンル分けしていますが、実際には、このジャンル分けを超えたところで思考する。
各ジャンルには、それ相当の制作技術が必要で、そのことを踏まえて、どう構築するか。
なによりも、なんのために、ワークショップをするのか、という問題があります。
いっぽうで学校をつくるプロジェクトを提案しているところです。
学校つくりと現代表現ワークショップをリンクさせる、と思っているんですが。

抑圧される個人の在り方を、抑圧されない個人の在り方に変えるための学びの場が学校です。
あたらしい学校の概念ですが、現体制維持のための学校ではなくて、個人が自立する学校です。
この学校をどうイメージしてつくるか、ということの模索から始めなければいけないのです。
この模索からやろうというメンバーが現れてきたときから、プロジェクトが起こる、ですね。
広い原野のなかに、少しだけその芽が生えだしている感触ですが、まだまだそれは未定です。

現代表現ワークショップについて-1-

現代表現研究所が主催する現代表現ワークショップ(現代表現WS)について書きます。

(検討資料です)
現代表現WSに、テーマとなるジャンルを設定します。
ジャンルは、統括セオリー、美術、写真、映像、音楽、文学、の六テーマとします。
テーマの名称は暫定であり、より的確な名称に変更されていくものです。

各ジャンルごとに、ワークショップを開催します。
ワークショップの内容は、各ジャンルに特化した事象がテーマとなります。
特化する事象は、おおむね現代を表現する現場をテーマにします。
各ジャンルに参加される個人は、テーマをクロスさせるなかで現代を理解します。
現代表現WSに参加される個人は、現代をテーマにした作品制作を試みます。

ワークショップの領域は、各ジャンルとも技術技法、テーマとなる背景と表出、など。
各ジャンル、マトリクス化された領域を、ワークショップ単位のテーマにします。
各ジャンルのワークショップがクロスオーバーさせながら全体を構成します。

(未完)

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