学校をつくるプロジェクト-5-

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学校をつくるプロジェクトを提唱していますが、反応はというと皆無に近いです。
そもそも学校をつくるということの必要性がわからないようなのです。
ここでいう学校は、学びの場、既存の枠組みの教育ではない、それに対抗する学校です。
それに対抗する学校、なんて言い出すとこれはヤバイ、まるで革命学校みたいだから。
決してそんな過激なことを考えているわけではなくて、ハッピーライフを得るためなのです。

体制から離れてどこかへ行けるわけではなくて、体制からは逃れようがない事実があります。
この体制のなかで、経済的な貧者は、気持ちの中まで貧者になってしまいそうな世の中です。
起業してあるいは組織に入って、金儲けすることができる人は、それで勝組としていいと思う。
でも、そうではない人は、どうするのか、これを克服していくための学びの場、でしょうか。
そういうことをアートの枠組みで、やっていけないか、との提案なわけです。

学校をつくるプロジェクト-4-

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来年は、学校をつくるプロジェクトを、具体的に展開していきたいと思っています。
学校をつくるとは、学びの場をつくるということで、様々な要素をちりばめた学校。
作家の在り方とか、作品制作の実際とか、そういうことの根底に、何を敷くのか。
グローバル化していく世界に、自分を見失わないように、考えをまとめる。
反グローバル化、資本に対抗、なんていうと過激なようですが、過激になろう。
いま、新しい作り方を求めて、新しい価値観を求めて、それを求める学びの場です。
具体的な集まりの日時などは改めて告知するとして、参加者を募ります。

ほんとうは、非常にベーシックなところからとらえていきたいと考えています。
基礎の基礎、基本の基本、というところでしょうか、これをカリキュラム化します。
生きることが、生活をつないでいくことが、けっこう困難な時代になっています。
でも生きていくことに希望が持てる、そういう基礎・基本は、何だろう、ですね。
そういうことが話題として出せる学びの場、それにスキルをつけることで作品をつくる。
私自身が直面していることを、共有できないか、と思うところなのです。
そうしてあなたが直面していることと、クロスできたらいいなぁ、と思うのです。

フォトハウス表現学校

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こんにちは、10月も30日、まもなく11月になりますね、みなさんお元気ですか。
最近、フォトハウス表現塾ではなくて、フォトハウス表現学校に名称変更を考えています。
京都写真学校の流れをくんで、写真だけじゃないアートのジャンルを包括した学校です。
お金がなくても、学べる学校、もちろん高度に学べる学校を目指します。

お金がなければ学べないではなくて、お金がなくても学べ、なんでもできる。
そういう学校をつくるプロジェクトを、提唱しているところです。
学びの場をつくる具体的なことは、また明確にしていきたいと思っています。
お金がなくてもアートが学べる学校作り、よろしくお願いします。

学校をつくるプロジェクト-3-

2004年に立ち上げた総合文化研究所のコンセプトに、学校機能についてという文章を載せています。もう15年も前に書いた文なので、今につながるかどうかを検証するためにも、転載します。

学校とはなにですか、という問いかけをしてみてどのようなイメージが湧いて来るのでしょうか。ぼくは、学校で教えたり教えられたりすることっていうのは基本的にその「時代の真理」と「生きていくことの希望」を紡ぎだすことだと考えています。

ぼくはこの綜合文化研究所では、理想とする学校機能のことを「あい実践学校」と名づけていますが、この学校は新しい時代の文化を担うひとたちが、人間としてあるべき姿の根本の捉え方そのものを創り出す運動体だと定義するところから始まると思っています。
あい実践学校は、生活の技術を身につけるだけのところではないし、いまある社会の中心へ参入していくための有利な条件を身につけるためだけのものでもないんです。

ぼくたちが生きている時代の<政治・経済・文化の総体>の構造をどのように捉えるのかということと、その総体の中でどのように生きていくのかということを、それぞれの個人の立場で考えられることが求められてると思うのです。

そこでぼくは、いまある学校(教育)システムってちょっとおかしいのではないか、と思ってしまうのです。いまある学校のシステムは、国家・国民という図式のなかでの経済システム、権力システムそのものに立脚していると思うからです。

ぼくの思考のなかには、この経済システムと権力システムを、どのようにして解体させていくのか、という問題があります。生産と分配と力関係の平準化とでもいえばよいのでしょうか。個人間に権力のない関係を求めます。この関係って磁場・磁力のような関係とでもいえばよいのでしょうか。そういう関係のあり方にしたい。

現文明世界の産業構造態の変化がもたらしてきた結果としてのアメリカ・グローバリズムを、基本的に認めることができないのです。その枝葉として、この島国の存在は、社会のなかに権力、あるいは階級構造を残したままだと認識します。
この歴史の結果としてのいま、<正規の>といわれる法人格をもった学校の存在と、教育のあり方は、個人を国策産業態に組みこむためのものでしかないと思うのです。

<人間疎外>という単語が死語であって、<夢と希望>という単語が生き生きとしているのならいいのですが、ぼくの感情としては、決してそのようには感じられないのです。

しかし、やはり、いま、ぼくはこの言葉、「人間回復」と「夢と希望」を使い出そうと思います。
あい実践学校は、個人が疎外されてる感覚を解消し、夢と希望に満ちた心を得られるようなシステムを持った個人と社会を創り出す学校です。

ぼこの思いは、一人ひとりが生産に携わること、そしてものを創り出す技術を修得することの背後にあるものをも含めて、個人が生きていくことを夢と希望に満ちた、喜ばしいものにするような学校を機能させたいと考えているのです。
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※掲載写真は尼崎<アルナイル>にて2017.10、写真ワークショップ開催時のもの。

学校をつくるプロジェクト-2-

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2018年に現代表現研究所をネットのなかで立ち上げ、学校の話を展開しているところです。
枠組みとしては「学の場」、フォトハウス表現塾の名称で、有償の学びの場を設定しました。
現代アートの枠組みで、五つのジャンルを個別に立ち上げ、内部で融合させるという話です。
ジャンルは、美術、写真、映像、文学、音楽の五つです。
もちろん現代アートのジャンルには身体表現もあるから、これをどこに含むか、とか。
現代を表現する基本セオリーを、どうするか、とかの問題がありますが。
ひとまず大きな括りで、枠組みで、各塾を立ち上げようとしています。

ところで、何のために新しい学校をつくろうとしているのか、です。
巷では学校を経済の枠組みのなかでとらえられていますが、そうではない学校。
学びの場は、生産の場とつながり、交流の場ともつながる、ネットワークのなかです。
無産者が生きるための学びの場は、金がないと学べない、のではなくてこれの否定です。
お金がなくても学べる場、新しく自由な発想で、自己満足な日々を作れる学校です。
フリースクールとか、生活共同体とか、近年顕著になってきている枠組みにリンクです。
お金を使って競争に勝つのではない、別の生き方もあり、そのなかにアートを見出す。

学びの場で、スキルを磨くことは、必要なことで、読み書きそろばん、の世界です。
それだけではなくて、金があればなんでもできる、じゃなくて、金がなくてもできる。
そういうサイクルを作り出さないといけない時代に突入している、と認定します。
グローバル化というか、資本が、マネーが、一極に集中していく時代です。
お金をもうけた人物が英雄視される時代ですが、その他大勢の方へ、です。
貧困者が増加しているように思えます、学びの機会を得られない人がいます。
世の中の大きな流れを逆行させる、そういう学の場、学校をつくろうと思うのです。

学校をつくるプロジェクト

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2004年に総合文化研究所を立ち上げたとき、四つの領域を立てました。
学校の領域、生産の領域、発信の領域、交流の領域と、この四つの領域です。
そのなかで学校は学びの器で、いちばん基本となる領域です。
学校の領域では、写真学校、農学校、文学校、自然学校と枠組みを考えました。
それから15年、紆余曲折、フォトハウス表現塾に至っているところです。

大きな枠組みは、現代表現研究所です。
新しい時代の、新しい人のための「学びの場」この場を模索します。
学校をつくるプロジェクトは、これらを参考にしていただいたらいいけれど。
それらを全く参考にしなくても、よりよい枠組みがあれば、それを採用しましょう。
学校をつくるプロジェクトに参加、興味ある人が集まってみましょう。
また、具体的詳細は、コアメンバーを作って、発表していきたいと思っています。