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コロナ後の世の中は、どうなっていくんでしょうか、注目ですね。
経済の大きなアクシデントで、経済世界の構造が変わる、というのですね。
なにも大袈裟にとりあげなくても、これまでにも少しづつ変化してきています。
その変化より、短期間に大きく地震のときの断層のような大きさで変化する。
明治維新、第二次大戦敗戦後、それほどの大きな変化だとでもいうのでしょうか。
旧勢力は補填補填で、現行の経済体制と政治体制を維持しようとするわけです。

あまり言わないでおこうと思うんですが、適正な経済規模で、国家運営できないか。
この適正な経済規模というのが、発想の転換で、どっかでやらないと、無責任です。
まあ、経済的貧者はあいかわらず貧者だろうし、いっそう困窮するかも知れません。
金儲けする構造が変わるだけで、儲ける奴の首が据え変えられるだけ、じゃない。
いやいや、今まで金儲けしてきた奴には資金があるから、一層金儲けする、でしょうか。
美術や文学や、の表現者って、これに随伴しているわけだから、これを見抜いたら勝者です。

ぼくは逆説ですが、敗者を応援する派です。
美術や文学が金の支配を受ける、あたりまえといえば当たり前なのかも知れません。
この金の支配を受ける、金を引いてくる、ということがアーティストの勝者だという。
全く違う位相から、このことをとらえたら、金儲けできる奴が最上の芸術家。
ほんとにそんなことでいいのかと思うところから、貧者の思想、敗者の思想です。
ぼちぼち、価値を変容させていかないと、いけませんね。



ここから-6-

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今年はじめからコロナウイルスにほんろうされ、もう5月半ばになってしまいました。
京都表現学校も活動休止状態で、このまま消えていきそうな気配も漂います。
まあ、もとから金をまわすシステムではないから、気持ちの問題だけですが。
金がまわらないと人もまわらない、そこから脱却して、金がなくても人がまわるように。
学びの枠を、お金を使わないで、作っていこうとしているけど、虚しいですね。

ブックカバーチャレンジという企画がまわってきて、いろいろ勉強になりました。
たまたま、自分が若かったころの本が手元に残っていたので、ここから七冊選びました。
文学系で、影響を受けたと思っている先輩の小説とか評論でした。
自分の人生が始まるころで、人生をやってきて、いま人生を終わるとこまで来ています。
自分が影響を与える、なんてことももうないなぁ、と思っているから、好きなことをする。

小説を書きたいと思って、それなりに練習していた20半ばまでのことを思いだします。
15年ほど前からぼちぼちと、ペンネームで小説を書き始めて、相当な量になっています。
全てネット上で読めるようにしているところですが、自分が管理しています。
管理できなくなった時点で、それは終了して、消滅する、そういう運命ですね。
それでいい、生きているうちの自慰行為だから、終わるときには終わる、です。


ここから-5-

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今年は新型コロナウイルスの蔓延で、世界中があたふたしています。
大きな世界のことをとやかく言っても虚しいから、自分に即して書きます。
日々、外出を自粛しているところで、友だちとも会わないでいます。
ZOOMを使って、ネットでやりとりする、というのもやる気がないです。

ネット環境も、ネットで学習できるとか、そういう時代になってきています。
ぼくなんかは、年代のわりにはネットを使っている輩ですが、もういいか。
やっぱり、現実に、ひとと会って、話を交わし、交流するのが、いいと思う。
これは、経験のなかで、それに慣れているからで、そういう年代なのです。

これから表現したものを発表する場も、ネットへ移行していくとは思います。
でも、やっぱり、現実は今のところ、ギャラリーであり、出版物が優勢です。
価値観という処で、これまであったツールに軍配があがる、というところです。
でも、5Gになって、通信量が膨大でも可能になっていくから、環境が変わる。

バーチャル美術館とかバーチャル出版物とか、それが当たり前になってくる。
そうすると、自宅、自室、自分の端末機で、鑑賞することが当たり前になる。
写真や映像なんかはデジタルで作る時代で、見る場もデジタルでいい、最良です。
時代というもの、こうして変化してきて、全体が変わっていくものですね。

ここから-4-

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新型コロナウイルスが蔓延して、日本では緊急事態宣言が発出され、昨日、5月末まで延長されることにになりました。今年は世界が、このコロナにほんろうされている感じで、社会の構造が大きく変わっていく感があります。どのように変わっていくのか、これを予測していくのが評論家ということになりますが、数値を示して論証していくレベルのことは、ぼくにはできないから、ざっくり感覚論でしか話ができません。この百年ほどで作りあがってきた社会のインフラがあると思うのです。ロボットなんか際立っているとも思えます。あらためてロボットと生身の人間との相関関係が、どうなるのか、このあたりにぼくは興味あります。

ぼくの感覚では、生身の男が生身の女を愛する、この逆、女が男を愛する、近年では男と男、女と女、といった愛しあう関係も公然と語れるようになったと感じています。上品下品という一般的なイメージでいえば、この下品の領域が表に出てくるのではないか、と予測しています。ただこの領域を封じ込めようとする勢力と、解放しようとする勢力があって、徐々に後者の方が拡大してきて、表ざたになってくると思えます。それから、現実の世界と、ネットの中にあるバーチャルな世界、この二分化されている世界が、融合してくると思うのです。無意識に融合していく感覚が醸成されるんじゃないか、と思うのです。

生身の現実しかなかった時代から、バーチャルな仮想現実とが、共存する時代になっていると思います。まだたかだか四半世紀ほどしか時間経過していませんが、ますます、現在、仮想空間と呼んでいる空間が、生身の現実空間と合わさってきて、人間の関係自体を変えてくる気がします。生殖のレベルでいえば、男と女の出来事が、生身の世界では生身でしかできなかったことが、医療の進歩とかも含め、バーチャル恋愛で、接合ないままに子孫を残す、なんてことも可能になる時代が到来しているんじゃないか。21世紀まだ20年が経過して、こののち80年が過ぎて22世紀になるころ、生身でセックスしなくても、医療的に可能になり、子育てのモラルも変化していくのかも知れません。家族のイメージが変わる。



ここから-3-

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新型コロナウイルスの蔓延で、世の中が大きく変わっていく気がします。
世界経済がどんな構造に変化していくのか、一層のグローバル化が進むのかも。
それとも、もっとフラットな、貧富の差があまりないようは構造になていくのか。
こんな大きな話を、ここでしても、いまさら、どうにかなるわけでもないです。
ぼくなんか小市民的な、一生活者にしかすぎないから、大海に浮かぶ笹舟です。
だから、もっと自分に即した、生きていてよかったなぁ、と思えるようになる。

明日、結婚記念日で、50年を迎える、とともにぼくの誕生日、満74歳になる。
まだこの先10年ある、と思う気持ちと、そんなにないと思う気持ちが入り乱れです。
もう一仕事、なんて思う気持ちと、もうここまでだよ、と思う気持と入り乱れです。
でも、もう、今年に入って、もうここまでだな、という気持ちが強くなりました。
ここから、なにを、どのように、展開していけばいいのか、それを思案しています。
基本的には、自分の方法で、自分の満足を優先して、気持ちに即していこう、です。

どちらかといえば、自分の作品創りの方に重点を置いていく、いつまでも現役。
組織化していく方向は、もう追随する側にまわればいいか、と思うところです。
静止画である写真制作と、フィクションとしての物語を書いていければいいな。
ともに作品としてのグレードがあるから、立ち位置をどうするか、これを明確化。
評論というレベルになるかどうかわからないけれど、この明確化作業ですね。
現代表現研究という枠を言葉のうえで設定していて、具体化はこれから、これです。

ここから-2-

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キャノンのアルバムが昨日で終わりました。
この10年ほど、大量にアルバムに写真をアップしておりました。
昨年のジオシティーズと同様、時代の流れで、それはそれで容認します。
インスタグラムがパソコンで表示できなくなったので昨日で終えました。
ニコンのアルバムはまえに新しくなったので、現在はまだ健在です。
手元の資料も処分したから、ひとつの時代を終えて、次の時代にいきます。

フェースブックは続けます、ツイッターも続けます。
昨年末から今年にかけて、新しく開設したところですから。
作品のストックは、ライブドアのブログを中心にしていこうと思っています。
ここ、seesaaブログは三つ開設しておりますが、ここでは論を中心にします。
あとは雑記と京都表現学校のインフォーメーションブログです。
なんやかや、嘘はつかない、まじめに戯言を綴っていこうと思っています。

1946年生まれで、今年で74歳になるから、ちょっと複雑な心境です。
文章書きがいつまで続けられるのか、それがわからないから困るのです。
まだ5年ぐらいはいけるかなぁ、と思ったりしていますが、もっと短命かも。
キリがいい2020年にして、ここから、あたらしい何かを作り出していきたい。
何があたらしいのか、それを判断するのは、自分の感性です。
これからも、よろしくお導きのほど、お願いいたします。