絵画から写真・映像の時代-1-

120kyoto1704250092.jpg
<絵画と写真>
絵画の歴史を遡れば、アルタミラの洞窟壁画の時代、もっと以前といえばラスコーの洞窟壁画の時代から、つい最近といっても19世紀の初め頃まで、絵というものは、人間の手によって描かれるというのが大前提でした。静止画、静止したイメージ、支持体は紙であれ、土の壁面であれ、いずれも平面です。絵画の歴史を、一言で紐解くと、古代からルネサンスを経て近代に至ります。絵画の手法は、絵の具の類ですが、いくつかの材料があります。それぞれに特徴を持っていて、様々に使い分けられてきたところです。いま、ここでは、細部に立ち入ることはしません。ざっくりと平面イメージの推移を見ておきたいところです。最前線の現在には、立体映像になりますが、かってあった手法や方法は、そのまま現在にも引き継がれてきます。

静止画としての写真が世に現れるのは1820年代ではなかったかと記憶しています。1939年にはフランスにおいて、写真術に特許が与えられ、ここに商品としてのカメラと写真があらわれるのです。画像を得るためフィルムに該当する品物は、いくつかの方法が試みられ、発明から半世紀を経る頃には銀塩写真が主流になります。これは工業生産が可能で、材料を大量に作ることができるからでした。フィルムに静止画単体としての写真。この写真を連続させるのが映画。映画を制作するための機材が作られるのが、20世紀の初めだったと記憶しています。フィルムの代わりに磁気テープが使われるビデオ画像はいつごろですか、1950年代には出現していたんじゃなかったか。写真から映画、ビデオへという流れは、いずれも画像の制作に、絵画のように絵具を画布に塗りこめることはなく、光に変化する物質によって構成されるものです。絵画から写真は、連続しているように見えますが、制作方法は全く違う方法です。写真は手によって描かない。感光する材料が塗られた支持体に光を当てて作るものですから。



写真のはなし-6-

474_7499.JPG
<写真よさようならの写真よさようなら>
写真よさようならという本があります。
1972年に出版された本で、森山大道さんと中平卓馬さんの対談集として残っています。
本のタイトルの「写真よさようなら」というフレーズは、それまでの写真への決別でした。
それまで撮られ発表されてきた写真との決別、そのようにぼくは解釈しています。
それからほぼ半世紀がたって、歴史的には世界の構図が変わり、表現ツールも変わっています。
なによりカメラはデジタルだしパソコンを使って加工し、発信する時代です。
写真表現の方法も変わってしかるべきなのに、まだ当時の「写真よさようなら」です。
表GEN研究会phというグループを立ち上げたところですが、ここではジャンル融合です。
写真よさようならにさようならする方へと来ている、時代がそう言っている、と思うのです。
写真、映像、絵画、音楽、文学、このそれぞれがもつ表現思想なるものを、組み上げる。
そういう作業を、はじめていかなければならないのだろうと、思うところです。



写真のはなし-5-

IMG_9036 (2).jpg
<一枚の写真>
シュルリアリストの人々、と銘記された写真を見つけて撮った写真が、この写真です。
1930年に撮られた記念写真でしょうか、シュールリアリスト9人が写っています。
シュルリアリズムの中身については、ぼくは評論するだけの知識がないと言っておきます。
でも、シュルリアリズム、超現実主義、と訳せばいいような、現実離れしたこと。
それを文章なら物語、写真ならコラージュとか、様々な分野での思想運動でしょうか。
時代背景から解いていかないと全容がわかってこないとは思うけど、安易に使わせてもらいます。
ここに写っている9人の男たち、有名人やなぁ、ブルトンとかマン・レイとか、とかとか、です。
撮られた写真が、最初、どうして公開されたのかは知りませんが、この写真を発見しました。
昨年の夏ごろだったと思います、メディア図書館に蔵書の本のなかで見つけた。
iPhoneを持っていたので、インスタグラムのカメラを使って、撮影して、SNSにアップした。
その写真を、ぼくは「風景論」という写真集12枚の一枚として、収録しました。
デジタルデータとして手元に残っているので、それをこのブログにアップしたところです。
ぼくのイメージで、フォトハウス写研を創立するところですが、なんとなくこれが気になる。
フォトハウス写研のグレードが、アップしていけばいいなぁ、との思いがあるわけです。
写真って、残されて、過去となって、存在証明となっていく、そういう代物なんですね。
記念写真という作品、さりげなく、集まったときに撮る集合写真、あるいは一人だけの肖像。
写真てのは、やっぱり記録性だなぁ、といくつかの意味の中で、その一つだと思います。
フォトハウス写研も記念写真撮っとかなくちゃ、と思っているところです。


写真のはなし-4-

120scan1511100024.JPG
<写真を見る場>
いまなら、デジカメかスマホで写真を撮ります。
SNS、インスタグラムとかツイッターとかフェースブックにアップして、公開する。
いま、こういうことができるのが、写真の現場です。
多くの人がこの方法で、撮った写真をアップしています、ぼくもしています。
もちろん写真を撮るということ、それへの考察がひとりひとりのなかで必要だと思います。
でもそれはいま置くとして、人が集まり、見せあい、人との中で心の交流をはかる。
そういう場が必要です。
たまたまそれは写真だから、写真の話になるわけです。
誤解してもらって結構、写真ってイージーですよね、簡単です。
何より処理工程が簡単ではないですか、フォトショップとか使わなくてもです。
それは昔も今もそんなに変わらない。
昔はカメラにフィルム入れて現像して紙に焼いてというプロセス。
今はデジタルカメラで、シャッターを切って、そのままネット配信してしまう。
でも、でも、ちょっと待て、それじゃだめだよ、と写真関係者はいいます。
まあ、ぼくも言うけど、それじゃだめだと言って、そうすりゃいいのか、ということ。
多様化してる、写真を使う使い方、価値が多様化してる、写真だけじゃない。
自分を表現するアイテムとして、写真ってゆう手段があるんだよね。
ここに掲載した写真は、東松照明さんに自分の写真を見てもらってる場面です。